久しぶりの「グラン・クリュ」。
カウンターは満席です。見慣れない光景で、ちょっとびっくり。
今日はブルゴーニュから
フィッサン・プルミエ・クリュ クロ ド・ラ・ペリエール
なんというか、力強い印象の味。
Fixin 1er Cru clos de la perriere (Monopole)
フランス>ブルゴーニュ>コート・ド・ニュイ>フィッサン>クロ・ド・ラ・ペリエール
ピノノワール100%
久しぶりの「グラン・クリュ」。
カウンターは満席です。見慣れない光景で、ちょっとびっくり。
今日はブルゴーニュから
フィッサン・プルミエ・クリュ クロ ド・ラ・ペリエール
なんというか、力強い印象の味。
Fixin 1er Cru clos de la perriere (Monopole)
フランス>ブルゴーニュ>コート・ド・ニュイ>フィッサン>クロ・ド・ラ・ペリエール
ピノノワール100%
読書シリーズ。先日の梅崎春生「猫の話」から、猫つながりということで、次はコレ。
愛撫@梶井基次郎(檸檬【新潮社文庫】に収録)
私はゴロッと仰向きに寝ころんで、猫を顔の上へあげて来る。二本の前足を掴んで来て、柔らかいその蹠を、一つずつ私の眼蓋にあてがう。快い猫の重量。温かいその蹠。私の疲れた眼球には、しみじみとした、この世のものでない休息が伝わって来る。
これを一度やってみたい・・・。
ところで、猫と言えば、GEROPPA家では昔(結婚した頃なので15、6年前)猫を飼っていました。
名前は「ビビアン(♀)」、段ボールに入れて捨てられてたを拾ったのが出逢い。
生まれたばかりだったので、ほ乳瓶でミルクを飲ませてやったり、自分でうんちが出来るまでは、綿棒で肛門をつんつんしてやったりと、ずいぶんとかわいがっていたのです。
猫は、犬とちがって、一緒に遊ぶということではなく、いろいろとながめているだけで、おもしろかったりおかしかったりするのがいいですね。
また、たまにではあるけど、しっぽを高く上げて、足下にすり寄って、「にゃあ」と、大きな目で、こちらを見上げたりするのもたいへんかわいい。
ところが、飼い始めて1年半ぐらいのとき、とある事情で社宅に引っ越すことになり、そこでは動物は飼えなかったので、実家で引き取ってもらうことになったのですが、実家に着くなりぷいっと外に出て行ったきり、行方がわからなくなってしまいました。
今でも、ビビアンに似た猫を見つけると、「あっ。もしかして・・・、そんなわけないか」なんてことを思ったりしてます。
誰との間でも、すこし距離を置いてつきあう傾向がある自分には、ペットとの関係性でいうと、犬よりも猫のほうがあうんじゃないかなぁなんて思っています。
とはいっても、犬は犬でこれも大変かわいいですよ。
とくに、家に帰ったときの熱烈な歓迎ぶりは、すっかり冷めた奥さんや、かわいげがどんどん無くなっていく子供たちに寂しい思いを感じているおとーさんにはオススメです。
日本文学全集51 永井 龍男 田宮 虎彦 梅崎 春生 集 筑摩書房
昭和50年(1975)2月20発行
先日読んだ「「猫の話」が良かったので、梅崎 春生の作品を求め、BOOK OFFで購入(105円)
これは、昭和23年に発行された「輪唱」という作品の中に納められた、「いなびかり」「猫の話」「午砲」の三編からなるひとつの作品であるらしい。
「いなびかり」では、物にしか話かけなくなったおじいさんと、一緒に暮らすおばあさんの老夫婦。
「猫の話」では、都会に暮らす孤独な若者と野良猫。
「午砲」は、岬の一軒家で午砲をならす孤独なおじさんと幼い僕。
このように「輪唱」は、各話毎に、それぞれ独立した物語ではあるが、「いなびかり」の中に登場し、鯨肉を盗み食いするぶち猫は、「猫の話」のカロという猫であり、轢死する原因となったのは、どうやら「いなびかり」の中で、おばあさんの家の台所で、鯨肉を盗み食いした際に、火吹竹で思いっきり横面をなぐられたられたことによるものであることがうかがい知れる。
また、「猫の話」の主人公である若者は、「午砲」の中に登場する少年であり、作品中の蟋蟀(こおろぎ)の詩は、「午砲」に登場するおじさんに子供の頃に教わったものである事を彷彿とさせる(たしかではないが)。
「猫の話」だけでも、良かったが、これら三話がつながることにより、ひとつの作品として完成されている。とても美しい物語。
道後商店街にある、「cafe de なもし」。
不思議なオブジェ(なんかモチーフがあるのだろうか?)が目印のお店です。
観光客がいない、平日の昼間、このお店では、少しだけ時間がゆっくり流れているような、そんな気がします。
ゴールデンウイークを控え、久しぶりに行った道後温泉周辺は、遊歩道や、道路が整備され、新しい建物(風情のあるレトロな雰囲気の歯医者とか)やお店がたくさん出来ていました。
背表紙の一文を抜粋。
なんでもない「ふつうの」人々が生きる、ごく「ふつうの」の人生。そのささやかな歓びと淡い哀しみを切々と描く短編集。
橋本治自身が、自著の解説を書いているのもおもしろい。
ここには、「生きることに対する積極的な歓び」というようなものはない。九編に共通するものは、ある種の「あきらめ」である。
(略)
あきらめの美しさ、あるいはまた、あきらめの静けさというものが、九作品には共通してみられる。あきらめて生きるのではない。「あきらめることを静かに受け入れて、生きる歓びというものは、その後にゆっくり現れるものだ」
ふと、喫茶店の隣の席の二人おばさん(ひとりは「まいこちゃん」らしい)の話に聞き耳を立ててみる。(伊予弁ですよ)
「あのな、まいこちゃん。昨日な、ベランダで履くツッカケがね、300円でええのがあったんよ」
「へぇ、そう。わたしな、昨日、新立の方から帰ったんよ」
「ああそぉ、で、その300円のツッカケ、みえちゃんもええなぁゆうてな、黄いろいツッカケ」
「そうそう、土手との間に、白いモッコウバラがきれいに咲いとってな、黄いろはちがうけどね、白は、いい香りがするんよなぁ」
何を話し込んでいるのかとき聞いてみれば、話題はまったくかみ合ってないながら、なんだか微妙につながってるみたい。
もちろん、このおばさん二人にも、一人ひとりの「生きる歓び」の物語があるのだろうと思う。
川上弘美のエッセイ集です。
タイトルは、最後の一編「ゆっくりさよならをとなえる」の最後の一節
今までに言ったさよならの中でいちばんしみじみしたさよならはどのさよならだったかを決める(決まったら心の中でゆっくりさよならをとなえる)。
いつも手の届くところにあって欲しい一冊。
なにげなく手にとり、ぺらぺらと適当に頁をめくると、次のような一節が目にとまる。
ビール小瓶一本。燗酒を二本。ぬた。ほたるいかの沖漬。ちびちびと飲み、ちびちびと食べる。
(略)
店のがらり戸を開け、のれんをかきわけながら外へ出た。月がまんまるだ。おぼろ月夜ではなく、くっきりとした春の月である。春のおでんだったね、と言い合いながら、駅までゆっくり歩いた。何かわからぬ花の匂いが、夜の中を漂っていた。大根の味が、ほんの少し口の中に残っていた。 (春のおでん)
でもって、「ああ、春のおでんもいいなぁ」と思う。
物語の世界に入ると、もう「ぐいぐい」と読まされるまま、一気に読了。
作品のラストで、余命わずかな父が、息子「春」の手をとって言う言葉のシーン、2人の息子を持つ父親として感情移入、思わず涙を流してしまいました。
また、この作品を読みながら、20年以上前に読んだ、この作品同様の兄弟の物語として共通点のある、村上龍の、「コインロッカー・ベイビーズ」を思い出しました。
「コインロッカー・ベイビーズ」では、主人公の兄弟「キク」と「ハシ」はコインロッカーに捨てられ、世界から見捨てられたものとして生まれる。自らを捨てた世界にに対しての復讐の物語に、圧倒的なエネルギーが感じられる、作者初期の素晴らしい作品です。
未読の方は、ぜひ読み比べてみてください。
いまさらながらですが、「私の頭の中の消しゴム」です。
不覚にも号泣してしまいました。
「不覚にも」なんていうとアレですが、映画・ドラマ・小説・マンガに至るまで、ふつうにしょっちゅう泣かされているGEROPPAです。
人は、憎しみや悲しみを忘れることにより、喜びを知り幸福になることができます。
でも、人は、愛する事を忘れてしまったとき、すべてが失われてしまう・・・。
愛する夫が、今日仕事から帰ってきたときに、その名前を、顔を、すっかり忘れてしまっているかも知れない・・・。
明日の朝、目覚めたときに、愛する妻は、自分の顔を、名前を、すっかり忘れてしまっているかも知れない・・・。
こんな悲しくて残酷な現実、とうてい受け止めることなど出来ないですね。この映画は、そんな、若年性アルツハイマー病におかされた、恋人達(夫婦)の切なく悲しいラブストーリーです。
しかし、韓国映画は、こういうストレート剛速球ど真ん中にずどーんと泣かせるの作らせるとうまいですね。わかっちゃいるけど、やられてしまう。
良かったのは、主役のソン・イェジンとチョン・ウソンの2人、魅力的です。
チョルス役のチョン・ウソンの、たくましくワイルドながらやさしいくて寂しそうな瞳、スギョン役のソン・イェジンの、チョルスへの、ひたすらまっすぐで、一途な愛表現もいい。
これが、日本映画だと、まどろっこしくも、めんどうくさい恋愛成就までの駆け引きなど、余計な部分がスッキリない。(いいところでもあるんですけどね)
しかし、この映画、脇役が、ダメですね。
主役はストーリー運びがあるので、ある程度ベタにならざるを得ないところはあります。しかし、脇役で質感を上げるという手法をぜひ取り入れていただきたい。
これじゃ、主役の二人以外は、大工の棟梁、医者、元不倫相手とか、男性の脇役達は次課長の河本、お母さん、妹、同僚のハデな女、などなど、女性配役は友近だけでもたいして変わらない。
あと、ラストのコンビニのシーンでは、出会いのシチュエーション(コーラ)に反応して欲しかったなというのが個人的な感想です。
松山バーガンディーで恋愛研究会出席。
自分から誘っておきながら、30分も待たせて、怒って帰りそうな会長他、たまたま来店中の、女性二人組と「恋愛」についての研究の為、熱い討論。
もちろん、内容はすっかり覚えていない。
新入社員歓迎会が終わりみんなと別れたあと、「さあ帰ろうかな」と歩いていると、なぜか「トゥールネ・ラ・ページュ」の前に、「うーん、しょうがない(なにがしょうがないんだ)。少しワインでも飲んで帰ろう」ということです。
1杯目はシャンパーニュだろうか泡のお酒(銘柄は忘れた)
2杯目はコレ
シャトー・パスキエ キュヴェ・テラッセ 2003
ローヌ>コート・デ・ヴァントー
複雑ではないが、華やかな香り
しっかりした味わいでおいしい。
3杯目
シャトー・フェラン 2002
ボルドー>グラーブ
複雑な香り、まろやかだけど芳醇な味わい。
4杯目
サンコム コート・デュ・ローヌ 2005
ローヌ
「神の雫」でも紹介されたワインですね。
とても華やかだけどしっかりした味わいでおいしい。
時間的にも、食事客が引けた後で、ショフ・マダムのお二人と話しながらの楽しいひとときでした。
特にショフとは、女性への接し方で共感レベルが高く、意気投合です。
食事のあとだったので、いただいたのは「徳谷トマトとモッツァレラチーズのサラダ」だけだったのが残念。
次回はしっかりと食事もいただきますので、よろしく。