全般

もしも「トキメキ国民栄誉賞♡」ってギャルゲーがあったら。

もしもこんなギャルゲーがあったら…。っていう話です。

共同通信社

【補佐官】
首相!しゅしょーたいへんでーす!
「トキメキ国民栄誉賞♡」で、攻略候補のゴジ子の引退イベント発生しました。

【首相】
え、ゴジ子ルートってあったの?

【補佐官】
それがあったんですよ。
で、メインキャラのミスタんの攻略には、ゴジ子の同時攻略が必須条件なんですよ。

【首相】
げっ、何このクソゲー。
フツー モブキャラだろあんなの?

ほかにも、このまえのタイホーっち攻略なんか本人の死亡イベントと同時ってあれ攻略なのか。ずいぶん叩かれてたよなぁ。

【補佐官】
そうなんですよぉ、ミスタんもこのタイミングで「ダブル授与」で攻略しとかないと、
あとはたぶん死亡フラグしかないので…

しかも、他のキャラ攻略ルート発生には、ミスタん攻略が必須なんですよね。

あ、イチロんだけは本人の引退フラグが発生したらOKみたいですが。

【首相】
オレは、読売学園の学長が死亡とかでも他ルート発生するって聞いたけど…まぁいいや。

しかしこのゲーム、こんなキャラ立ってないの攻略とかしてて他のルート大丈夫なの?
ホシノ学園グループとかけっこうキャラ立ってんのいるんだけど。

【補佐官】
あ、そっちは、「トキメキ国民栄誉賞♡ホシノ学園WBCちゃれんじ編」とかの派生シリーズでやるみたいです。

【首相】
だれが買うんだよそれ…。

松井秀喜氏と長嶋茂雄氏が国民栄誉賞ダブル受賞。
http://blogos.com/news/peoples_honor_award/?g=economy

静かな日曜日

近所の桜
くもり空 花びらが「ぽとり」と落ちる音がかすかに聞こえてきます。
ここのところ、わが家の日曜の朝はこんな感じで静かにはじまります。

「健康なカラダが欲しい ( ̄¬ ̄)グヘヘ」 Vimiレストラン 久米窪田町

世の中なにかと健康志向が叫ばれておりますね。

私も今年で49歳と50歳の扉まであと少し、来年には半世紀を生きたすっかり「ミッドセンチュリーなゲロッパ」略して「ミッドリーゲロ(略す必要があるのか?)」に改名するかなぁなんて、相変わらずくだらないことばっかり考えてるアラフィフオヤジです。

もうこの歳になると、精神的な成長はとまり、逆に幼児化による退行がおきたりして家では愛犬に「どうちまちた?おにゃかちゅきまちたかぁ~」なんてやって家族からの冷たい視線を浴びたり、肉体的にはあちこちが歳早漏相応に経年劣化し、年々健康の大切さが身にしみるようになりました。

先日、FM番組の収録の際に「ゲロッパさん、誕生日には何もらうとうれしい?」って聞かれて、思わず

「健康なカラダ!」

って答えが浮かんだんですが「べっ、べつにほしいものなんかないですよぉ、最近欲がなくてぇへへへ」なんて枯れた中年を装ってみたりして、相変わらずとっちらかり気味の今日このごろですが、みなさんいかがお過ごしですか?

ということで、
健康志向のテイクアウトのお弁当と惣菜のお店「Vimi」が、2月に久米窪田のテクノプラザの中に新たにレストランをオープンしたということで、「MyCityえひめ」で紹介すべく取材に行ってきました。

久米窪田のテクノプラザ愛媛といえば、実はワタクシ8年ぐらい前に2年半ぐらい入居しておりました。外観はこんな感じの建物、周辺はほとんど田んぼの中にあります。

前職にいたとき、社員が増えたことで社屋が手狭になって、新しい社屋が建造されるまでの間、私の部門だけ、本社から離れここに入った次第で、ここにいた2年余りは、上司や用もないのに部屋に入ってきたり内線かけてきては仕事のじゃまばかりするアイツやアイツらから開放されて、つかの間おだやかで幸福な時間を過ごしたわけです。

そんな当時のテクノプラザにあって当時建物内に喫茶店というかレストランというかありましたが、入居まもなく閉店し(そりゃ閉店するよなってクオリティだったので当然なのですが)そのスペースは長いこと、使われずにいたようです。

それが、内装も一新し、施設のイメージとはかけ離れ、ここだけ別世界か!ってぐらい、明るく開放的な、健康志向のヘルシーなランチが食べられるお店に様変わりしてオープンしていました。

メニューは、メインが日替わりで2種類から選ぶスタイルで、それにおかずが3品とサラダ、それにごはんも3種類から選べます。

笑顔がステキ♡なスタッフの武田さんがお出迎えいただきました。

まずは自社農園で今朝収穫した野菜のサラダが出てきます。

レポーターのますはら曰く
「これ、すごくシャキシャキでおいしーです(*゚∀゚)」
だそうです。

おぉシャキシャキーーー(*゚∀゚) ってオレも食べたい。

そして、ランチが運ばれてきます。メインは鶏肉を選んで、ごはんは五穀米をセレクト。

うーんおいしそう(^q^)
「からだにいいもの」を毎日たべて欲しいというお店のコンセプトのとおり、10種類を超える季節の野菜の組み合わせで色合いもきれいですね、メインのプレートには、桜の花びらがあしらわれて、たりで、微に入り細に入り、こだわりが感じられます。

味の方はというと実は私取材にかかりっきりで、食べてない(T_T)のでコメントできません。
くいしんぼレポーターますはらはモリモリと大満足で食べておりましたので、お味の方のコメントはこちらをどうぞ。

営業時間は、施設の開館時間に合わせて、夕方5:00までの一般営業で、午前11:00~午後2:00までがランチタイムで、午後2:00~5:00までカフェとしても利用できるので、ビジネスの打ち合わせにもいいですね。

それと、私も以前よく利用してましたが、テクノプラザに隣接する産業情報センターに、だれでも利用できるビジネス書やビジネス系の雑誌(各業界専門紙などもかなりそろってる)がバックナンバーも含め、豊富なライブラリがあって、貸出もできますから、そこで雑誌や書籍を借りて、食事を楽しみながら、ビジネスの情報収集もできたりするのが魅力的です。

さらに個人的には、昨年拙宅のある白水台から久米窪田に抜ける道路も開通し自宅から15分程度で行ける距離にもなってますので、自分にとってもこれは利用しない手はないってことで、ぜひ利用して「健康なカラダ」を手に入れたいと思っております。

Vimi 株式会社エイトワン

もっと愛媛の柑橘 10FACTORY 松山市ロープウェイ街

今日は取材でロープウェイ街に1月にオープンした愛媛産の柑橘のお店「10FACTORY」に、「MyCityえひめ」の取材で、おじゃましました。
カンバンを見ただけでは一見なんのお店???
みかんといえば愛媛、りんごといえば青森、じゃがいもなら北海道、うなぎは浜松、とんこつは博多ってぐらいみかんといえば愛媛ですよね。

10FACTORYは、この愛媛産の柑橘を専門に扱うお店で、果実として販売するのではなく、オリジナルブランドのジュースやジュレなどにして提供するお店です。

とはいえ、われわれ愛媛人にただ、みかんジュースのお店といっても、ちょっとやそっとじゃ飛びつくわけがないのですよね。
こちらでは、このジュースは八幡浜の◯◯さんがつくった◯◯って品種です!って説明できるぐらい、社長自ら実際に産地に通って、生産者と何度も会って「この方の作るみかんが食べたい」と思う、愛情込めて作られた愛媛産の柑橘を厳選し、10FACTORYオリジナルのジュースやジュレなどにして提供しています。
こちらは、自然栽培原料のジュース。
奥に広い店内の片側壁一面に、ズラーーーっとオレンジ色一色にみかんジュースがならんでいる光景は圧倒的で、この商品に対する自信が伝わってきます。この日は、八幡浜産の清見を原料に、有期肥料を使ってつくった原料でつくられたものと、肥料を一切使わず、自然栽培で作られたものとの2種類のジュースがありました。
また陳列棚の対面にあるカウンター席では実際に果実をその場で生ジュースにしていただくことができます。
注:菅野美穂じゃありません。
われわれを迎えていただいたのは、店長の岡田さん。
愛媛県人でありながら柑橘にテキトーな知識しかない私達に、ていねいに説明して頂きました。

店内の商品は、時期によって、収穫される柑橘の種類がかわるので、ジュースの原料も常に同じものではなく、そのときに一番旬なものが提供さるそうです。

生ジュースは、店長オススメの甘平(かんぺい)580円をいただきました。店長自ら、目の前で皮を向いて、ジューサーに投入、チョーフレッシュな甘平の生ジュース。

「甘平」のジュース名前の通り本当にあまい!
あまいΣ(゚∀゚ノ)ノ!甘平は、そのままで食べてももちろんおいしいですが、ジュースにして飲むとまた、違った食感で一気に「ゴクリ」と喉をとおって鼻から爽やかな香りと上質な甘みをすぅ~っと感じる瞬間の贅沢さがいいですね。

注:何度もいうけど、菅野美穂じゃないですよ。
次は、目の前で絞っていただいた生ジュースから作るアイスクリーム。
おー!!固まっていく(゚∀゚ノ)ノ
マイナス9℃の鉄板の上ではすぐにジュースがシャーベット状に変わっていきます。アイスクリームなので、ミルクも加え、食感を楽しむため荒く切ったみかんも加え、トマトのソース(ソースは選べるそうです。)をかけて、デコレーションしていただきます。
できあがり!
見た目からおいしそうですが、もちろん味もおいしい。
素材が素材なので「マズくつくりようがないでしょ」って感じでこちらも圧倒的です。

カップルで行くなら、ジュースとアイスクリームをそれぞれオーダーして、食べ比べるのがオススメのスタイルですね。

「愛媛・みかん」というと、「せとか」や「甘平」など、おいしいみかんは、なんども食べてるし、多少の知識はあるし、少々のことでは心動かないぞと思っていましたが、まだまだでした。

愛媛にはまだまだおいしいみかんがたくさんあるし、柑橘ってことでいうと愛媛以外の国内、また海外産の品種を合わせてすごい種類とバリエーションがありますよね。
もう、「みかん」は、数多ある果物の種類のひとつではなく、「野菜」「肉」「魚」「みかん」「果物」ってぐらい分類してもいいんじゃないかなぁと思ったり…。

ということで、愛媛のみかんのパワーにあらためてガツンとやられ、もっとちゃんとみかんを楽しみつくしたいと思う一日でした。

10FACTORY

坊っちゃん 松山 道後温泉

松山に移り住んではや16年。
西側正面玄関@道後温泉 by GEROPPA

松山をこよなく愛し、身も心も松山に捧げたネイティブマツヤマンを自負するワタクシですが、今ひとつネイティブになりきれない問題を抱えています。

「えーーー!いまさらそれをいう( ̄□ ̄;)!!」とびっくりされそうなのですが…

それはネイティブマツヤマンなら当然感じるべきと言われる

「坊っちゃん♡LOVE」

の感情が自分にはないことです。

ここ松山では、銘菓「坊っちゃん団子」、「坊っちゃん列車(市内電車)」、「坊っちゃんエクスプレス(高速バス)」、「坊っちゃんスタジアム(市営球場)」、ほか、松山を象徴するものに何かと「坊っちゃん」をプッシュするのがあたりまえです、なぜ「坊っちゃん」がそれほど好きなのだろう?というのがそれ。

でもって、移り住んだはじめの頃はいろんな方に「なぜ『坊っちゃん』なのか?」と、聞いてみたのですが、帰ってくる答えはだいたい以下のようなものです。

「松山は正岡子規や夏目漱石などを輩出した文学の街だからねぇ。特に「坊っちゃん」は漱石の代表作であり、松山を舞台に書かれた小説だからだよ。」

うーん(これってみんなこう言うし、ぱっと聞いただけではなにも疑問はないのですが)…。
しかしよく考えてみると…。

疑問1 小説「坊っちゃん」で、主人公坊っちゃんは、松山のことをかなりボロクソにけなして
     ますよね。松山を愛するワタクシとしては我慢ならないぐらいひどいけなしようです。
     なぜ、これほどけなされた内容の作品の主人公をなぜここまでもてはやすのでしょう?

     松山の人たちは夏目漱石の「坊ちゃん」をどう思っているんですか。つーか、読んでるんですか。

     ↑このQ&Aによると松山の人は心が広いからけなされても気にしない。
     とありますが…どうも腑に落ちない(けっして松山人が心が狭いといっているのではなく)。

疑問2 夏目漱石を輩出というが、漱石が松山にいたのはわずかの期間。地元輩出ということで
     あれば、なぜ現代俳句の礎を築いた大俳人正岡子規でないのでしょう?

     漱石が、松山にいたのは、1895年4月~1896年4月の1年間のみ。
     松山中学(現松山東高等学校)の教員をしていた期間。これで「輩出」っていうのは…。

     あと、よく「文学の街」というけれど、定量的な根拠をあんまり聞いたり感じたりしたこと
     がない。(つか、どこの街でもわりと文学者を輩出していたりゆかりがあったりするもの
     で、それらと比べて松山が突出しているかというとちょっと疑問。)

にもかかわらず、なぜ、

ほぼよそ者の漱石からのディスられっぱなしの「坊っちゃん」
なのか???
   

とは言え、ワタクシも松山を愛するものとして県外からのお客様をもてなすにあたり「なんでこれほど『坊っちゃん』なんだ?」という疑問に「それはかくかくしかじか」と、お答えせねばなりません。

ということで、自分なりに、解釈としてはこういうことなんじゃないかとお客さまに説明しています。

「坊っちゃん」と言えば文豪夏目漱石の作品のなかでも娯楽性が高く庶民的な国民的文学作品で、
夏目漱石の作品中第2位394万部の売上を誇る代表作のひとつ。
http://blogs.yahoo.co.jp/yuli_bidani/37488588.html

その上、映画化 5回、テレビドラマ 11作、アニメ 2作品
というように、作品の知名度が圧倒的です。

小説坊っちゃんでは、あれだけクソミソに言っていた松山の中で「住田温泉(道後温泉のこと)」だけは、「ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ。」と絶賛して、その風情を仔細に描写しており、漱石自身もたいそうお気に入りであったのだろうと思われます。

結果、作品が道後温泉を、文豪夏目漱石もお気に入りの、東京ではお目にかかれないほど、素晴らしく立派な温泉ということで、今では日本の名湯ベスト10の地位を確実なものとした、全国的な知名度の観光地に押し上げたのです?(詳しい数字が見つからないのであくまで憶測ですが)

  【参考】いうまでもなく、温泉を全国的に有名にしたのは、夏目漱石著「坊っちゃん」である

この住田と云う所は温泉のある町で城下から汽車だと十分ばかり、歩いて三十分で行かれる、料理屋も温泉宿も、公園もある上に遊郭がある。おれのはいった団子屋は遊廓の入口にあって、大変うまいという評判だから、温泉に行った帰りがけにちょっと食ってみた。今度は生徒にも逢わなかったから、誰も知るまいと思って、翌日学校へ行って、一時間目の教場へはいると団子二皿七銭と書いてある。実際おれは二皿食って七銭払った。どうも厄介な奴等だ。二時間目にもきっと何かあると思うと遊廓の団子旨い旨いと書いてある。あきれ返った奴等だ。団子がそれで済んだと思ったら今度は赤手拭(てぬぐい)と云うのが評判になった。何の事だと思ったら、つまらない来歴だ。おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に極めている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ。せっかく来た者だから毎日はいってやろうという気で、晩飯前に運動かたがた出掛(でかけ)る。ところが行くときは必ず西洋手拭の大きな奴をぶら下げて行く。この手拭が湯に染った上へ、赤い縞(しま)が流れ出したのでちょっと見ると紅色(べにいろ)に見える。おれはこの手拭を行きも帰りも、汽車に乗ってもあるいても、常にぶら下げている。それで生徒がおれの事を赤手拭赤手拭と云うんだそうだ。どうも狭い土地に住んでるとうるさいものだ。まだある。温泉は三階の新築で上等は浴衣をかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が天目(てんもく=一般に、「茶碗」のこと)へ茶を載せて出す。おれはいつでも上等へはいった。すると四十円の月給で毎日上等へはいるのは贅沢(ぜいたく)だと云い出した。余計なお世話だ。まだある。湯壺(ゆつぼ)は花崗岩(みかげいし)を畳み上げて、十五畳敷(じょうしき)ぐらいの広さに仕切ってある。大抵は十三四人っ漬(つか)っているがたまには誰も居ない事がある。深さは立って乳の辺まであるから、運動のために、湯の中を泳ぐのはなかなか愉快だ。おれは人の居ないのを見済(みすま)しては十五畳の湯壺を泳ぎ巡(まわ)って喜んでいた。ところがある日三階から威勢よく下りて今日も泳げるかなとざくろ口を覗(のぞ)いてみると、大きな札へ黒々と湯の中で泳ぐべからずとかいて貼りつけてある。湯の中で泳ぐものは、あまりあるまいから、この貼札(はりふだ)はおれのために特別に新調したのかも知れない。おれはそれから泳ぐのは断念した。泳ぐのは断念したが、学校へ出てみると、例の通り黒板に湯の中で泳ぐべからずと書いてあるには驚いた。何だか生徒全体がおれ一人を探偵しているように思われた。くさくさした。生徒が何を云ったって、やろうと思った事をやめるようなおれではないが、何でこんな狭苦しい鼻の先がつかえるような所へ来たのかと思うと情なくなった。 

                                            小説「坊っちゃん」

そして「坊っちゃん」以前と「坊っちゃん」以後では道後温泉は貴重な松山の観光資源として、文化的、経済的にも全国に通用する松山を代表する文化遺産の地位を築くことができたのです。

漱石という人はそのエッセーを読めば、かなりのへそ曲がりの強情っぱりだろうというのがすぐわかります。

今で言う「ツンデレ」的な属性だってことですね。

「松山サイテー」「ど田舎」「不浄の地」「こんなとこなんかダイっ嫌い!!」などとツンツンしなら、道後温泉で一人になると「ふふふぅ、気持ちイイ愉快だわぁ~♡、べッ、ベツにあんたのことなんて好きでもなんでもないんだからね(●`ε´●)」って感じでデレてるわけです。

ゆえに我々松山人たちは、作中でボロクソに言われようと、ツンデレの漱石タンの言うことだし、なにより自分たちの道後温泉と松山を全国的に有名にしてくれた「坊っちゃん」が大好きなのであったメデタシメデタシ。

ということなんじゃないかと勝手に解釈してるのですが間違ってます?

桜 咲く

P1060810 by GEROPPA
P1060810, a photo by GEROPPA on Flickr.

今年は開花がはやい。

もう11年前になるのかな、次男が保育園を卒園した春も暖かだったんでしょうね、道後保育園の園庭の桜が満開だったのを思い出しました。

あの頃は、ちっちゃくて女の子みたいな顔と髪型がそれはそれはかわいい子で、保育園のせんせい達に奪いあうように可愛がっていただいたんですが、それが今は…(-_-;)

今年卒業する児童、学生たちは卒業式の思い出にも桜が華をそえてくれることになりますね。

恩師や友人、毎日通った校舎や、通学路の景色の一つひとつとの別れの寂しさもありながら、でも未来へと、たしかに踏み出した自分、散る桜とともにまた一歩先へ進んでいく、その未来は光の中にあって、輪郭がよくつかめない。

来年の桜のことなど思いもしないほど、一年が永遠のように長かったあの頃と比べると、ずいぶんと早く毎年の桜を迎えるようになりました。

例年なら誕生日(4月6日)頃が見頃なのだけど、今年は祝ってくれる桜がないのが少し寂しけりと…。

桜開花間近 そのきさらぎの望月の頃


うちの近所のソメイヨシノはもうすぐ開花…来週ぐらいかな。
来週の水曜3月27日は満月、旧暦の如月の望月ですね。

願わくは花のもとにて春死なん そのきさらぎの望月の頃 ~西行~

今年は開花が早く、天気が良ければ満月に照らされた桜を楽しむことが出来そうです、楽しみですね。


佐田岬灯台

Untitled by GEROPPA
Untitled, a photo by GEROPPA on Flickr.

先週行ったのですが…遠かったです。そして寒かったです。

「アラブの春」の正体 ー欧米とメディアに踊らされた民主化革命(重信メイ:著)

私は「アラブの春」の一連の動きの中で、チュニジアやエジプトと、リビアを同列に報じるマスコミの姿勢、特にアルジャラーラの反政府(反カダフィ)勢力支持に偏った報道に強い違和感をいだいていました。

それは私自身がリビアのカダフィと、チュニジアのベン・アリやエジプトのムバラクとはその政治手法も、過去から現在における革命家としての実績とその後の治世においても、おなじような一連の反政府運動の流れとは全く違うなにかがあると感じていたからです。

日本では、例に漏れず、捕らえられたカダフィと直後に射殺された映像がセンセーショナルに報道されたぐらいで、背景や踏み込んだ報道は望むべくもありません。
西側諸国やネット論壇での論調も概ね、リビアも、カダフィが独裁による圧政からの開放、自由を手に入れた新しいリビアという報道が大勢を占めていました。

とくにその世論形成をリードしたのがアラブを代表する報道メディアであるアルジャラーラによるものでした。西側諸国とは論調を相容れることなく独自な姿勢と視点で報道を行うアルジャラーラがリビアのカダフィ政権に対しては特に苛烈な反対姿勢をであったことも私には非常に不可解でした。

日本赤軍のリーダー重信房子とパレスチナ人の父の間に生まれ、中東で育ったジャーナリスト重信メイによって書かれたこの本には、そういった一連のメディアの動きによって作り出されたリビアの「革命」がどういうものだったのかが語られています。

アルジャラーラはそもそもカタール王国が興した報道機関です。
アラブの大国サウジアラビアに併呑されることに常に怯える小国カタールがメディアという力を手に入れ、中東での存在感を得るために設立したものです。

やがて湾岸戦争や、9.11のビンラディン報道などにより、アラブを代表する報道メディアとして存在感を確立し、そのプロフェッショナル集団としての報道姿勢は世界のメディアからも一目置かれています。カタールの思惑で報道が左右されることはないように振る舞ってきましたが、カタールに対してはアンタッチャブルであるというのが事実です。

そのアルジャラーラに実質的には影響力を持つカタールは、アラブの天然ガス利権で競合するリビアのエキセントリックでありながらアラブ社会への強い影響力を持つカダフィの存在を抑えるため、リビア反政府軍に武器、資金、メディアで協力をしようとしました。

アルジャラーラは一連の苛烈な反カダフィ報道によって「反政府の声を上げる民衆をミサイルと銃弾で殺戮する独裁者カダフィ」という報道による印象操作と世論形成に成功を行い、邪魔者カダフィを排除することに成功し、アラブの天然ガス資源をコントロールできる力を手に入れることが出来たという筋書きです。(もちろんこれを影から支援した西側諸国の思惑と連動した動きもあるはずですが、このへんは本書では詳しくは語られていません。)

確かにチュニジアやエジプトの動きはソーシャルメディアをいう新たなチカラを手に入れた国民が、それによって圧政をはねのけ自由を手に入れた物語として語られています。事実そういうチカラが働いたことは間違いありません。

筆者は「メディアによって捏造された『アラブの春』~リビア内戦」の章の以後に

「アラブの春」とひとくくりにされていますが、そのすべてが「革命」だったわけではありません。リビアの例はその象徴的なものだったのです。

と結んでいます。

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中秋望月 ~月と科学と金木犀~

今夜は中秋の名月に当たる日ですね。

 残念ながら台風は過ぎたものの雲に覆われた空なので、今夜は「中秋(に)月(を)望(む)」とはなりそうにありません。

 わが家の庭では、中秋の名月のこの時期、ちょうど金木犀が咲き、甘い香りで庭がつつまれます。 

日本ではお月見には月見団子に酒ですが、中国では、月餅を食べつつ、桂花陳酒(けいふぁちんしゅ:白ワインに金木犀の花を漬け込んだ酒)を飲むそうですね。

 そういうこともあってか、金木犀の香りは月の香りとも言われているようです。

話は変わって 

1969年7月20日 人類で初めてニール・アームストロング氏が月に降り立った日、科学の力が初めて人を月に運びました。どんなにこがれても決して手を触れることができなかった月に人間が科学の力をもって降り立ったのです。
人々は熱狂し科学の力がどんな不可能も可能にし、希望あふれる未来もたらしてくれると信じていました。 あれから43年後の今年、未踏の地に降り立った宇宙飛行士はその栄光につつまれた天寿を全うしました。
 一方日本では、一昨年、未曾有の大地震による災害と、それによって引き起こされた科学の象徴というべき存在の原子力発電所がメルトダウンを起こすという事故を経験しました。 
事故の対応で迷走を繰り返す政治と、「想定外」の事故に責任逃ればかりの原子力学者に対する失望は、科学そのものへの失望と不信感をもたらし、我々は43年前のあの熱狂の日のようには科学がもたらしてくれる未来(ちから)を信じることができなくなりました。 
しかしそうはいいつつも、わたしたちは程度の差こそあれ、かつて科学を手に入れていなかったときのように、夜空の月を読み、日にちや時刻を知る生活にもどることは出来ません。
行き過ぎた消費社会に対する反省を踏まえつつも、豊かでよりよい暮らしを求めることを止めることはないでしょう。
 今、自分が小さな子供を持つ父親なら、今日の月見の日、子どもたちとの話のなかで、月を見て美しいと思う気持ちと同じぐらい、どうやって人類は月におりたったのか、NASAやソ連の宇宙計画はいかにして偉業を成し遂げたのか、宇宙には未だ知らない謎がどれほどあるのか?
なんていうふううに、子供たちが科学的な好奇心を持てるようなそんな日として捉えるのが大切なんじゃないかなんてて思います。 
 ということで、月に想いを馳せつつ 桂花陳酒でも飲みますか。