好調。横になっているぶんには、痛みもシビレもない。
立って歩くとだんだん痺れてくるが痛みはわずかになって来た。
今日で坐薬が終わり。
今日はひな祭り、「はなまる」でヤックンが言っていたが、3人官女の真ん中の人は既婚者なので一人だけ眉がなくてお歯黒だそうです。(知らなかった)
コレを読む。
『アニメージュ・コミックス「風の谷のナウシカ(全7巻)作・画:宮崎 駿」』
(BGMは久石譲の映画サントラ盤)
おすすめ度
7巻のラストのクライマックス、シュワの墓所の主との対話でナウシカの言葉
「その朝が来るなら私たちはその朝に向かって生きよう
私たちは血を吐きつつく、り返しくり返しその朝をこえて飛ぶ鳥だ!!」
「生きることは変わることだ
王蟲(オーム)も粘菌も草木も人間も変わっていくだろう(略)」
「だがお前は変われない
組み込まれた予定があるだけだ
死を否定しているから・・・・・」
「その人たちはなぜ気づかなかったのだろう
清浄と汚濁こそ生命だということに」
「苦しみや悲劇やおろかさは清浄な世界でもなくなりはしない
それは人間の一部だから・・・・・
だからこそ苦界にあっても喜びやかがやきもまたあるのに」
ここで語られる「汚れない」ことは「清くない」であり、「死なない」ことは「生きていない」こと。
清浄と汚濁、生と死、これこそが生命そのものであり、死のない生は虚無である。
物語を通してナウシカは、深い愛情や慈悲の心に出会い、憎しみや悲しみ人間のおろかさに苦悩する。小さきものの命の終わりに深く悲しみながらも、戦いの中で数多くの命を自らの手で奪う。
ナ ウシカと出会う人々は、その無垢なる魂をとおして死から生を見出し、汚れたものの中から清らかで美しいものを発見する。やがて、ナウシカは自分の存在の 象徴であるべき(無垢:オーマ)という名を破壊の象徴である巨神兵に授け、シュワの墓所の主によって仕組まれた生命再生のプログラムを破壊しする。
目的を持って生まれて来た生命などない。
この世に生まれたことそのものが奇跡なのだから。
そして、ラストでナウシカは自らに言う「生きねば・・・・・・」。
ふーっ! 一気に読んでしまったぞ。いいねコレ。