その日は突然に来た。
連休真っ只中の5月3日に激しい痛風の発作が起きた。
激痛で眠れないけど起き上がれないから寝たきりで過ごしたGWも明け、少し痛みもやわらぎはじめた8日の月曜日、妻の運転するクルマで近くの病院へ送ってもらい痛風の診察を受けていた。
私を病院へ降ろしたあと、前日から白目が赤くなって腫れ気味だったちょびのことが心配な妻は、近くのかかりつけの動物病院に連れて行った。
診察の結果はというと、いつものとおりで「心配しすぎですね、大したことない。少し結膜炎気味だけど腫れもないし問題ない」という診断だった。
私「いつも心配しすぎやぞ。」
妻「だって、ちょびになにかあったらと思ったら…」
あいかわらず、エアペットロス気味な最近の妻。柴犬にとって13歳という年齢は人間にすると65~70歳ぐらい、人間なら後期高齢者だ。
加齢とともに、足腰が弱くなってきて、高い段差が登りにくくなったり、少し白内障気味になってきたり、散歩の足取りもトボトボとゆっくりになっていたけども、それでも食欲もあって元気に暮らしていたはずだった。
妻が着物の直しで出かける用があって、いつものようにちょびをクルマに乗っけて出かけようとしたその時だった。
食事を済ませたあと、痛む足を座卓に載せて座敷で寝ていた私のもとに、妻が尋常ではない声で私の名前を叫んでいた。
わが家の造りはいわゆる旧い町家で、通りに面した幅四間の店先の入り口から敷地は奥へ三十間(約50メートル)近く続くいわゆるうなぎの寝床で、私が横になっていた奥の座敷までは、玄関から30メートルの距離がある。
細長く奥へと続く家の脇を貫く吹き抜けの土間通路からその叫び声が大きくなりながら近づいてくる。
いつもなら声が聞こえた瞬間に私が走っていくはずなのだが、こんなときに限って痛風の激痛簡単には立ち上がれない。なんとか立ち上がって土間通路から続く庭の縁側に近づくと、妻が血相をかえて座敷の庭にまわりこんでチョビを抱えながら泣き叫んでいる。
「ちょびが…ちょびが急にぐったりして動かくなったの!」
見ると、妻に抱えられたちょびは、全身の力を失い、抱えられた手からがくんと首を落として、口からは舌がだらんと垂れていて目は開いたまま口元は息をしていない。
庭にそっと横に寝かせて心臓マッサージをしても息を吹き返す素振りもない。
すぎに病院に電話し、ぐったりしたチョビを抱きかかえて車に乗り込んで病院へ向かった。動かないチョビを抱えて待つ赤信号が永遠につづくのかと思うほど長い。
病院へ駆け込むと先生も驚いて待ち構えている「突然ぐったりして動かなくなったんです、先生なんとかしてください!」
先生にしてみても、今朝診たばかりだったので急なことに驚いている、今日の診察では何も悪いところが見当たらなかったということを説明しながら、心臓マッサージや注射で心肺再生を行ったが二度とチョビの心臓が動き出すことはなかった。
所見では心臓発作(僧帽弁閉鎖不全症)ではないかということだった。解剖してみないと詳しいことはわからないが、血液検査のから見る限りでは食べ物や嘔吐物を詰まらせたことによる酸欠などの状況もみられなかったからだ。柴の老犬では急死の原因としては少なくないらしい。
私達は診察台で動かなくなったチョビを前にしてただただ立ち尽くすしかなかった。
動かなくなったちょびを連れて自宅に帰ってきた。
リビングの低い窓の前にある建付けのサイドボードの前にベッドを移動して出来合いの祭壇をつくり動かなくなったちょびを寝かせた。
そのあとは何をしていたかはっきり覚えてもいない。
妻は花をかったり祭壇に供えるものを用意したり、私はと言うと連休ではあったが1週間近く痛風で仕事がまったくできなかったので、3日後に控えた撮影の仕事に向けて段取りの連絡やコンテの仕上げの打合でいつになく頻繁に連絡を行っていた。
リビングの祭壇の前で動かなくなったちょびの頭をなでる。あたたかかった体はすっかりと冷たくなっていた。
コペンハーゲンの柴犬 もうひとつの天国への旅立ち
そうこうしていると、以前にロケハンで訪れていていたデンマーク国営放送のスタッフのMikeからFacebookの連絡があり、かねてより依頼されていた四国霊場八十八ヶ所をテーマにしたドキュメンタリー番組のシーンとして、わが家での茶室でのお点前を撮りたいということだったのだが、その撮影に明日行きたいという。
今日の明日って突然過ぎるだろう「準備は大丈夫化か?と」妻に確認したところ「なんとかする」という、おそらくちょびがいなくなったという現実と向き合うことを避けられると思ったんだろう。MikeにOKの連絡をし、翌日16:00から撮影の予定となった。
その後、妻はあちこち連絡してお手伝いや、茶釜や消し炭やお菓子、友人にお手伝いの手配をしたりと忙しく動き回っていた。
翌5月9日も朝から忙しく今日の撮影の準備をした。
家の掃除に茶道具や注文していたお菓子やお花の手配とお手伝いしてくれる友人の対応などで忙しくしていた。友人たちはリビングに横たわるちょびとのお別れをしていた。
デンマーク国営放送の撮影スタッフを迎え入れ、前回ロケハンのときに来たときに「自分の愛犬も柴犬だ」といってチョビをかわいがってくれたチーフディレクターのHalfdanに「She is Dead.」と伝えるとびっくりしていた、なんという偶然なのかHalfdanの愛犬も13歳で昨日亡くなったという。
遠くコペンハーゲンで亡くなったHalfdanの愛犬とチョビ。Halfdanは自分の愛犬の死に立ち会えなかったことを悲しみ、横たわるチョビの前に膝まづいて目を閉じて長い間何か話しているようだった。
同じ日に天国へ旅立った2匹、地球の反対側からだけど、同じ天国で出会えるのだろか?そんなことを思った。
火葬
5月10日に近くのペット霊園で火葬をした。一時間ぐらいでつまむとポロポロと崩れる骨になったチョビをひとうひとつ拾って骨壷に集めた。
火葬場から自宅に帰ってすぐ居間に小さな祭壇を作った。
赤い花を添えて、旧くなって今は使わないiPadに膨大な数のちょびの写真データから何枚かを選んで入れ、スライドで表示されるようにして飾った。
一番お気に入りの、4年前に以前に住んでた家の近くで撮ったピカピカ光る濡れた鼻と瞳で、新緑の中で楽しそうに笑っている写真をみていると、また涙が止まらなくなった。
居間にいるときはテーブルの下で、台所にいるときは野菜くずをおねだりするために足元で調理の邪魔してたちょび。
座敷では日の当たる縁側で寝そべっていたちょび。
庭ではちいさな畑に肥料だわりに埋めた残飯を掘り返してたちょび。
土間では小上がりの前薄汚れたお気に入りのクッションで丸くなってたちょび。
朝の散歩では、砂浜のわかめや海苔や貝にガブついて、神社のネコに凄まれてひるみ、港の草むらでいつもおしっことウンチして、金物屋のおばちゃんに挨拶して、八百屋の犬に吠え立てられながら知らん顔でトボトボ歩くちょび。
夕方の散歩ががてらの買い物で夜までスーパーに忘れられてつながれて、そのままスーパーの店員さんに翌日まで保護されてたけど、そんなことしらずに行方不明で大騒ぎされてたちょび。
朝の散歩も夕方の散歩がてらの近所への買物も、家での会話も今から思うとちょびを介して夫婦の会話が成り立っていたのだろう、二人でいても、ちょびのこと以外にまったく話することがない。
ほんとうにいなくなったということが、もう会えないといことが、頭や身体をなでることが、もふもふでくるっと丸まったシッポを見ながら一緒に歩くことが、そんなあたりまえだったちょびとの毎日が…。
今は何ひとつほんとうのことがないような嘘っぽいちょびのいない毎日をただ過ごすしかないのだろう。