本をページ単位でばら売り

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Amazonがやっちゃいましたね。
本のページのばら売り&デジタル化です。

米アマゾン・コム社は3日(米国時間)、書籍をページ単位、章単位で販売するサービス『アマゾン・ページズ』を発表した。本を買わなくても、必要な部分だけインターネット上で読 めるようにする。一方、本を購入後、追加料金を払えば、外出先でもネットで読める『アマゾン・アップグレード』も開始する。

いきなり、一冊まるごと全部デジタル化して売らないところが、なんとももったいつけてます。

でも、印刷物としての本を所有し、なおかつデジタル化されたものも読めるってのは、ちょっと考えるとベンリそうな気がしますよね。本とノートPCをカバンに入れてると結構重いし。

しかし、実際にデジタル化された本をPCで読むかっていうと、どうでしょうね。
デジタル化された書籍の代表としては、青空文庫などありますが、私はあまり読まないんですよね。旧い作品だからってこともあるんでしょうが、じゃあ新刊なら読むのかというと、それだけではないですよね。

読書っていう行為が、物質的な本を読むという行為そのものだから、PCで読むというところの違和感が、もうひとつ超えられないところなんじゃないかと思います。机に向かってるとそこそこ読めるんですけど、ビジネス書以外は、ソファとか、寝ころんでとかのスタイルでの読めないのがツライですよね。それと日本語は、PCで見ると文字が美しくないのがダメですね。

しかしながら今回のAmazonの動きから、物質としての本と、情報としての本の中身を、別々のものとして提供することが始まります。消費者は、印刷コスト流通コストを負担してでも、本として買うか、中身だけ安く買うか、という選択ができるようになります。

当然、印刷物として購入する場合は、一冊あたりの生産コストが上がること、また、どうせ高い金出して本として買うのなら、品質も高いモノを求める要求が進み、さらなる高額化が予想されます。ひいては、さらにネットでの販売意欲が高まる。ということでどんどん二極化が進んで行きそうですね。

インターネットは、長い間、情報の外部記憶装置としての主役であった印刷媒体を、すべて自身の中に取り込んで、本の中に閉じこめられていた情報を解放しようとしています。

これは、情報が、それ自身が主体的な意志のもとに、伝播することで命をつなぐ遺伝子のような存在(ミーム)であり、人間は、主体である情報が一時的にそれを媒体(乗り物)として利用しているにすぎないという、ドーキンスの説を証明しているということでしょうか。

情報(主体)<=>人間(媒体)という逆転が、現実のものとしてすぐ近くに来ているようなそんなことを考えさせられるニュースですね。

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