ナンマイダー(南無阿弥陀仏)

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10月の最後の土日となる30、31日に、亡祖母の17回忌の法要で郷里の徳島に行ってきました。

法事という行事もさることながら、この週末は、いわゆる私の人生に深く関わった人たちに会ってたくさん話をすることになり、聞いたり、感じたり、考えたりしたことを久しぶりにブログに書いてみます。

まずは、徳島に行く前に別れた「元妻」と、子供のことについて、久しぶりに合って話をしました。

離婚して5年目、近所に暮らしていますが、いままでほとんど言葉を交わしたこともなかったのですが、子供たち大学、高校受験というそれぞれ大きな岐路を迎えるに当たり、つたえておかねばならないことがあり、会って話すことになったわけです。

話の内容はもちろん書けませんが…

よく「時がすべてを解決する」などといわれますが、これ怠け者の方便だと思います。でも、人は忘れたり捨て去ったりすることによって前に進む事が出来るというのは本当だとおもいます。そして時間は下ろすことができずに背負ったままの荷物を年月と共に風化させてくれるのです。

よくわからない話ですみません。

ということで、緊迫した時間のあと、散髪してスッキリしてから徳島へ。
親戚には、けっこういまだに怖いおじさんやおばさんもいますので、こういうことは、ちゃんとしとかないと落ち着きませんからね。46歳になっても親戚との関係性は1ミリたりともかわりません。

私GEROPPAは1996年に松山に転居したので、もう徳島をはなれて15年になります。母は健在で徳島にいるのですが、前回の帰郷からは気づけば1年半もたってます。近いのにね、法事でもないとなかなか足が向かないってことですね。

松山からは2時間半ほどのドライブで、19:30頃徳島市の中心繁華街の秋田町界隈に到着しました。
そして約束をして待ち合わせていた友人2人と会食、場所は紺屋町から籠屋町へ入る角にあるちゃんこ料理屋「一揆」というお店です。

友人のIさんとWくんは前職のときには、仕事するのも飲みに行くのもいつも一緒の3人でした。
Iさんは、1コ上で会社でも学校(高専)でも1年先輩で15年前に離婚していらい再婚していないバツイチ3人の女の子の子持ち47歳。まじめで風俗好きな(子)煩悩パパです。彼は今も前職の会社に務めています。

Wくんは4つ下で、15年前、自分が松山に転居するのとほぼ同時に独立し、現在は、主に前職からの仕事を請け負って(というか困ったときにだけ呼ばれる)いる自称天才(天災?)プログラマ。なんというかとにかく破天荒がネギ背負ってやってきたような男で、数々の武勇伝(栄光と黒歴史)と家族や周辺への大迷惑の遍歴をへて、現在は(永久にかな)おとなしく禁酒中の身。

そして15年前に、ある事件をきっかけに、徳島を出て、松山に新天地を求めた私。

それぞれの人生で30歳前後から15年間と言えば、仕事に家庭に、またそれらの上位に位置する社会に対して、もっとも強く関わり合い、社会的な地位や財産の構築などにおいても重要な時期と言えます。

ヒンドゥー教のアーシュラマと呼ばれる、人生を4つの期に分け、それぞれで果たすべき役割を担う教えでは「家住期」と呼ばれる時期に当たり、家庭にあって子をもうけ一家の祭式を主宰する時期と位置づけられています。

詳しいことは書けないのでアレですが、三人三様のそれぞれの人生の中の15年は、ときには順風満帆、ときには地獄のズンドコ、頑なにこだわって守り続けるもの、きっぱりと捨て去ったもの、そして手に入れたもの、失ったもの。一晩では語り尽せないぐらいのいろいろなことがあるでしょうけど、詳しいことは話さなくてもあった出来事さえ聞けば、彼らがそれらをどうのり超えて、今ここにあることがわかります。

15年前、30歳そこそこの若かったときの3人。あのときの自分たちが想像していた15年後の姿に、果たして自分はなっているのだろうかと考えることがどれだけの意味があるのかはわからない。

けど、あのとき彼らと友人として出会ったように、この15年間もたくさんの人に出会い、たくさんの人に迷惑をかけて、たくさんの人に助けられ、裏切られ、愛され、結ばれ、別れ…そういうことを繰り返して、今の自分があり、そしてこれからも、そういうことを繰り返しながら生きてゆくのだろうなぁと、そんなことを考えながら、楽しかった徳島の夜は夜中まで続くのでした。(それにしても〆のホルモンはやめときゃよかったと反省。)

翌日の法要では、若干の二日酔いも、降りだした雨で冷え冷えとした菩提寺である浄土真宗延寿寺の本堂に正座しているうちにすっかり冷め、読経も終わったあと、ご住職から「南無阿弥陀仏」の念仏についての法話をいただきましたので、忘れないように書き留めておきたいと思います。(あくまで、私が聞いて解釈した話なのでそこんとこヨロシクです。)

「南無」は「ナマステ」すなわちインドのあいさつ「礼」の言葉です。
そして「礼儀」とは、相手を認め、そのたしかにそこにいるということを認めたしるしを行動をもってあらわすものですね。

「阿弥陀」は、サンスクリット語のamita(アミータ)意味は「はかることのできない」という意味

「仏」はブッダですね。

全体の意味としては「はかることのできない大いなるいのちと出会いそれをみとめる」ということ。
「はかることのできない大いなるいのち」とは、宇宙誕生よりこの世に生きとし生けるものすべてをつつむ生命エネルギーのようなものと住職はおっしゃっていました。

私たちの生きているこの命は「大いなるいのち」から一時的にエネルギーを与えられているもので、この世に生を受けて授かり、そして命としてとどまり、死をもって解き放たれるもの。

そしてまた、新しい命へとかたちを変えて無限につながっていくものでありまして、これは浄土真宗の教えにはないがチベット仏教のいうところの輪廻転生というものです。

毎日この「ナンマイダー(南無阿弥陀仏)」という念仏を唱えることで、わたしたちは、はかることのできないおおいなるいのちとつながっていくわけですね。それはすなわち亡祖母でもあり亡父でもあり、先祖やそのはるか昔の生命との出会いであるということです。

誰とも会いたくない朝には「ナンマイダー」、死にたくなる夜にも「ナンマイダー」、うれしいとき、かなしいときに、どんなときでも「ナンマイダー」、念仏を唱え、そのたびに祖母や父や私や家族をかたちづくった大いなるいのちと出会い、そして今いきているすべてのいのちをみとめるのです。

そうして、わたしたちはまた明日を生きていくのです。

写真もよろしければどうぞ。

秋田町の焼肉黒ちゃんで真夜中〆のホルモン。焼いてるのは激ウマのホソ20年前から変わらぬメニューとおかみさん。

栄町のキャプテン・ジャック・スパロウ たこ焼き屋さんです。焼いてるのはデイヴィ・ジョーンズではなく普通のタコ。

法事のあとの宴席での食事 すごい豪華さと量 右上から、松茸の土瓶蒸し、宝楽焼き、炊き合わせ椀、刺身、酢の物写真以外にも天ぷら、茶碗蒸し、フルーツもあり、腹パンパンですわ。

お土産は、徳島のソウル・フード「フォッシュカツ」

と、「さわやかすだち」。「ザ・すだち」のほうが有名です。

フィッシュカツはソース、マヨ、七味で食べるのが王道(なのか?)
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