グラン・トリノ@GWに観た映画

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GW中に観たかった映画のひとつ

グラン・トリノを観ました。

クリントイーストウッド監督作品で、しかも本人が出演するのはこれが最後ということです。
もちろん、これは見逃すわけにはいきますまい。

で作品ですが、こちらももちろん期待に違わぬ、すばらしい内容でした。

クリント・イーストウッドの監督作品としては、宗教・人種といった問題提起はありますが、ストーリー展開は、概ね万人受けする起承転結のはっきりしたもので、ラストも決してハッピーエンドではないとはいえ、ちゃんと正面から受け止められるような内容です。

ミリオンダラー・ベイビー を観たときのような、劇場を出た後も、長い時間、観客に映画のことを考え続けることを強いるような、そういったことはありません。

全米で公開と同時に大ヒットしたというはもっともだと思います。

エンターテイメントとして素晴らしいし、疲弊したアメリカの心を、グラン・トリノとイーストウッドが蹴っ飛ばしてくれるような爽快感もあります。

しかし、そこには、彼一流の、とても大きな大きなテーマである、人種・宗教を越えた人間同士の深いつながりが、一貫したテーマとして描かれています。

イーストウッド演じる、主人公は、フォードの工場一筋でずっと勤め上げた、ポーランド系のウォルト。
隣人一家は、モン族というアジアの少数民族、そして近隣のその同族たちとやギャング。
イタリアンの床屋に、アイリッシュの工事現場監督、おまけにウォルトの息子は、トヨタのセールスマンで愛車はもちろんトヨタ・ランドクルーザー。

作品では、現代のアメリカの雑多な人種の中で、比較的早くから社会の中でその礎を築いてききた、ヨーロッパ系移民と、あたらしく社会に溶け込もうとするアジア系少数民族移民を対比させ、また経済をはじめ産業としてアメリカの代名詞でもあった自動車産業の衰退と外国企業の台頭。
古いアメリカから、新しく変化していこうとするアメリカの今を、するどく切り取って見せている。

アメリカでの人生を終えようとするものと、アメリカで人生を始めようとするもの。
古いものがその役割を終え、新しいものが新しい国家を形作っていく、その繰り返しダイナミズムと自由さこそがアメリカであり、それはまったく別々にある個々の人種や、宗教単位の営みではなく、古いものから新しいものへ、人種・教を越えた、人間の営みとして、受け継がれていくべきものなのだということが語られているのだと思います。

それにしても、ちょっと重苦しい雰囲気を吹っ飛ばす、最後の「俺のぉ~ グラントリノぉ~」っていう歌がサイコーで大好きです。

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